森博嗣「集中力はいらない」を読んで

コラム

こんにちは、yoshi(@y_mupic)です。

今回は「集中力」の話。

「集中しなさい」
「君は落ち着きがない、集中力に欠ける」
よく耳にするフレーズですね。
小さい頃に言われていた方々も多いのでは。
「集中力があることが良い」という風潮がありますが、森博嗣先生の「集中力はいらない」(SB新書)では、タイトルの通り「集中力はいらない」と述べられています。
この本を読んで妙に納得してしまったので、この本の内容も踏まえ僕なりに「集中力はいらない」と思う理由を考えてみました。

一つの事に集中することによる弊害

客観性が失われる

最近思うのは、一つの作業に集中したからと言ってその作業の成果物の品質が高くなるかと言えば、そうとは限らないということ。

絵を描く人、作曲・編曲する人、物書きをする人、楽器を弾く人、プログラミング、等々何かしら生産的なことをしていると、その日に集中して作り上げた成果物を後日見直してみたら全然納得のいくものではなかったという経験があるかと思います。

この事象の原因の一つの解釈として「集中しているから」ということが上げられると思います。

物事に集中しすぎると、物事の評価視点が一方の側面からの視点に凝り固まっている状態になりがちです。

一晩作品を寝かせて(自分の頭を寝かせて)翌日、あるいはもっと後になって作品を見ると、その時には別の視点からの評価ができる頭になっています。

なので、後日見直すと自分の作品の品質に対して冷静なツッコミ、分析が可能になるわけです。

発想が乏しくなる

新しいアイデアは、普通の考えでは一見結びつかない、誰も考えないような複数の物事の組み合わせを上手くリンクさせることで生まれたりします。

よって一つの物事に集中していると、飛躍的な発想は生まれにくいと言えます。

一つの事に集中しなければならない機会が減っている

集中力を要する単純作業の大半は機械にとってかわる

例えば単純作業に関して言えば、そもそも機械の得意分野です。

集中して同じ作業を淡々とこなすという労働はもちろん人間でもある程度はできますが、人間は体力や精神的な限界が来るため、時間経過とともに確実に注意力が散漫になります。

その点機械にはそういった制約が基本的にありません。

統計的な観点での判断はAIで可能

何かを考える作業についてはどうでしょうか。

例えば複数のデータをもとに最適解を考える作業は、もはやただの計算、あるいは統計処理に過ぎず、人間がやらなくてもいい時代になってきていると言えます。

AIにはできない人間の頭脳労働とは何か?

難しい問いですが、端的にいうと「AIにできること以外のこと」が人間の役割です。

AIにできることってなんだろう?と考えてみる。そうすると、今の時代結構たくさんのことがAIで可能だよなぁ思うわけです。

AIで可能な職業は今後どんどん縮小していくため、少子高齢化とは関係なく労働人口はどんどん減っていくはずです。

追記
堀江貴文氏の「多動力」という本も、かなり近しい内容となっている印象です。

次から次に、興味が移り変わってしまい、まったくもって落ち着きがないという堀江氏。

そんな彼は一つの物事に集中するのではなく、複数のPJを回すこと、また、色んな分野での肩書きを沢山持ってレアな人材になることを推奨する内容だったと記憶。

面白いので、変な偏見を持たず、興味がある人は是非。

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